北九のヒト
戦前写真絵葉書にみる郷土の歴史「門司日銀」
現在の北九州市門司区栄町の門司生涯学習センターのところには、日本銀行門司支店があった。
「大阪以西金融の便を謀る」ことを目的に、大阪に次ぐ西日本で2番目の支店として明治26年(1893)10月1日に日本銀行西部(さいぶ)支店が開業。仮店舗が、赤間関市西南部町(現:下関市南部町)に設置され、初代支店長には、後に日銀総裁や大蔵大臣、内閣総理大臣などの要職を歴任した高橋是清が就任した。
明治31年(1898)10月30日、門司に店舗が完成し、移転。大阪以西の西日本の金融の中枢としての役割を担った。その後、門司には財閥系の銀行の支店が開設されるなどして、一大金融街が形成された。
日本銀行西部支店は、大正6年(1917)に門司支店に改称。昭和39年(1964)に北九州支店となり、小倉北区に移転した。
写真絵葉書にある丸窓とドームが印象的な店舗建物は、昭和20年(1945)6月の米軍による都市空襲で焼失した。
※写真絵葉書は、昭和14年発売のもの。