天の時を得 地の利を占めつ
人の心の 和さえ加わり
たちまち開けし 文化の都
八幡 八幡 われらの八幡市
市の進展は われらの任務

「八幡市歌」より

かつて「鐵の都」といわれ、近代産業をリードし、北九州工業地帯の中枢を担った八幡(やわた)製鐵所と八幡市。明治22年(1889)4月1日、町村制の施行により、尾倉・枝光・大蔵の3カ村が合併して八幡村が誕生した。

明治26年(1893)、八幡村の2代目村長に就任した芳賀種義は、実父で若松町長だった芳賀與八郎とともに、安川敬一郎、金子堅太郎、平岡浩太郎らの助力を得て、製鐵所の誘致運動を展開し、その実現に尽力した。

かくして、明治34年(1901)11月18日、盛大なる作業開始式が挙行され、ここに官営製鐵所が開業された。

製鐵所が八幡に設置された大きな理由として、筑豊炭田に近く、鉄道があり、地震などの天災が少ないことが挙げられる。

その後、八幡の街は製鐵所とともに発展し、中央区(現:八幡東区中央)を中心に市街地が形成され、大正6年(1917)に市制施行して八幡市が誕生した。

※写真絵葉書は、戦前の八幡(やわた)製鐵所全景。

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