中間から若松まで続く人口の川、「堀川」の守護神です。
江戸初期の遠賀川は、大雨の度に洪水を起こして、近隣の村に大きな被害をもたらしたそうです。
そこで、堀川の工事が開始されました。
工事を計画した筑前藩主黒田長政の死去や、藩の財政難などの理由から、途中100年もの間、工事が中断していたそうですが、大飢餓を契機に再開され、着工から180年以上もかけての完成となったそうです。
工事の難所が、吉田車返から折尾大膳に至る岩山で、金槌やノミを使って、7年もの歳月をかけて切り開いたそうです。
工事のノミの跡が現在でも岩肌に残っています。
石炭の最盛期には、石炭を乗せた多くの五平太船が、若松まで石炭を運搬し、にぎわいをみせていたとのこと。
河守神社の祭神は、大山祇神(山の神)、罔象女神(農業用水の神)、興玉神(土地の神)です。
河守神社:
福岡県遠賀郡水巻町吉田字車返2078番